2026年01月14日

第3回:“感情”は「変える」んじゃなく「流す」
怒りが消えるんじゃなくて、やさしく通り過ぎるようになった。
こんにちは。胎内体感の連載担当です。
前回は、「泣けたのは、“お母さんもはじめて”だったから。」というテーマで、
“完璧じゃない親”への視点が、やさしく反転していく瞬間を綴りました。
今回は、そこから生まれた、もうひとつの変化についてです。
タイトルは――
「“感情”は「変える」んじゃなく「流す」」
胎内体感のあと、私自身の中でいちばん「あれ、前と違うかも」と感じたのが、
怒りやイラッとした感情との“距離感”でした。
イラッとする。その「あと」が、少し変わった
今でも、もちろん普通にイラッとします。
約束をドタキャンされたとき。
楽しみにしていた予定を、何となく流されてしまったとき。
「え、それはないでしょ」と思う言葉を投げられたとき。
感情としての怒りは、ちゃんと湧きます。
でも、胎内体感のあとで変わったのは、その「あと」です。
イラッとした直後に、
「でも、この人の立場から見たら、どう見えてたんだろう?」
という“もう一つの声”が、ふっと浮かぶようになりました。
恋人なら、仕事の疲れがたまっていたのかもしれない。
友達なら、不安や事情をうまく言葉にできなかったのかもしれない。
怒りが「消える」わけじゃない。
でも、怒りだけで画面が埋まらなくなった。
その奥に、相手の気持ちを想像するスペースが、自然と残るようになった――
そんな変化です。
胎内体感は、「感情そのもの」をいじらない
おもしろいのは、胎内体感そのものは、
怒りや悲しみといった感情を直接「扱う」プログラムではないことです。
「怒りを手放しましょう」
「ポジティブな感情に変えていきましょう」
といった言葉は、ほとんど出てきません。
やっているのは、とてもシンプルで、
* 自分の過去を、年代ごとに静かにたどること
* その出来事を「自分の目」ではなく、親の目・相手の目で見直してみること
* 気づいたことを、短く面接で報告すること
この繰り返しだけです。
だからこそ、感情は“そのまま”にしておけます。
「こう感じちゃダメ」とフタをするのではなく、
「そう感じていたんだね」と、ただ見つめていくような時間。
その中で少しずつ、
「誰かを責めるでもなく、自分を責めるでもないスタンス」が、
育っていくのだと思います。
「当事者意識」が、感情の流れを変えていく
胎内体感の資料の中には、目的として
「己を知る」
「自らの内にある慈愛に気づく」
「当事者意識を獲得する」
と書かれています。
ここでいう「当事者意識」は、
「全部自分が悪い」と背負い込むことではありません。
怒りを感じている“自分の気持ち”も、
そのとき“相手が感じていたかもしれない気持ち”も、
どちらも、この出来事の一部として引き受けてみる姿勢に近いです。
「あの人が100%悪い」と切り捨てるのでもなく、
「自分さえ我慢すればいい」と飲み込むのでもなく。
「あの場面で、相手はどう見えていたんだろう」
「あのときの自分は、相手からどう映っていたんだろう」
と、両方の立場をそっと置いてみる。
この“二つの視点”を持つ練習が、
結果的に、怒りの「流れ方」を変えていくように感じます。
コントロールじゃなくて、“流れる道”をつくる
胎内体感を通して得られた感覚をひとことで言うなら、
感情を「コントロール」しようとするんじゃなくて、
ただ「流れる道」をつくってあげる
というイメージに近いです。
怒りをなくそうと力むと、
かえって自分を責めてしまったり、
どこかで爆発してしまったりします。
そうではなくて、
・怒りが湧いたことは、そのまま認める
・そのあとに、相手の気持ちも、そっと想像してみる
・どちらも抱えたまま、「まあ、こういう日もあるよね」と流していく
そんな“おおらかさ”が、少しずつ育っていく。
私自身もまだまだ途中ですが、
以前よりすこし、感情にふり回されにくくなった今のほうが、
生きやすいな、と感じています。
あなたは最近、
「この怒り、どこにぶつけたらいいんだろう」と
持て余してしまったことはありますか?
もし思い当たる出来事があるなら、
そのシーンを、相手の目線からもう一度だけ、
そっと見つめてみてもいいかもしれません。
そこから始まる“流れ方の変化”も、
胎内体感がそっと背中を押してくれるものの一つだと思っています。
次回は、「スマホのない2日間、世界が優しくなった。」をテーマに、
音も情報もそぎ落とされた空間で起きた、小さな変化をお届けします。

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