看取り士日記(326)~最期のメッセージ~
桜の花が満開のころだった。
初回訪問2日後の午後に息子様から呼び出しがあった。
病院につくと、コロナ禍の面会制限の中で、病室に入れていただくことができた。息子様はベッドの上で看取りの作法でお母様を抱いておられた。そこでお母様と初めて対面する。息がかなり上がっている。酸素マスクをつけておられるが、血中酸素の濃度があがらない。もう近いというのがわかる。
息子様が「今日の日はさようなら」を歌いだし、「信じあう喜びを大切にしよう、明日の日を夢見て希望の道を~今日の日はさようならまた会う日まで~」と詠い終わられたタイミングで、お母様は2回大きく息をされ、旅立たれた。
息子様はお母様に看取りの作法をしながら「お母ちゃん、ありがとう」と何度も声を掛けられていた。
埼玉のお兄さまに連絡をし、「耳は最期まで聴こえています」と伝え、お母様の耳元にスマホを当て、お母様に言葉をかけてもらう。お兄さまの第一声は「お母ちゃん、ありがとう」、そして、お兄さまが面会した時のことをお母様に話しかけられ、弟様も応対される。
まるでお母様とお兄さまと依頼主様の3人で話されているようだった。きっと、お母様がご兄弟に、信じあう喜びを大切にとメッセージを送られていたのだろう。
自宅で5日間、ご依頼主様の希望で寄り添われることになる。ドライアイスはせず、2日間添い寝をなさる。
自宅に帰られてから2日目には、お母様の生まれ故郷である和歌山の海を見せたいという依頼主の息子様の意向を受けて、和歌山まで寝台車で息子様とお母様を乗せていってくださり、故郷の墓参りもされた。和歌山から戻られてから、ドライアイスを入れられた。
参列者みんなで納棺。お兄様もお母様のお顔に触れられ、抱きつかれるようにお別れをされていた。お母様の周りはお花でいっぱいになり、そして、たくさんの花に包まれ、親族の方々に見送られて住み慣れたお家から出棺された。
全て旅立つ方のプロデュースなのだと教えてくださったお母様に感謝 合掌
担当看取り士 萬慶知津子
文責 柴田久美子