看取り士日記(330)~供養とつながる命~
ほおづきの赤い実が亡き人々を思わせる。
私は1,300年の歴史を持つ出雲大社の氏子として生まれた。
その日はお祭りの当日、賑わいの中で私は大國家の末っ子として誕生する。父は、巫女として育ってほしいとの願いを込め私のことを「来る巫女」―― 久美子と名付けた。
祖父は私にとても優しく、私は幼稚園も保育園も行かないままに自宅で祖父と父の言葉から「美しく暮らすこと」を教えられた。時に私が「私も〇〇ちゃんのように幼稚園に行きたい」と漏らすと「人と比べることはない。くんちゃんはくんちゃんの人生を生きていく。人は皆、神様だから、くんちゃんはくんちゃんのままで大丈夫。人と比べると幸せにはなれない」と、小さな私の手を握り、瞳を見ながら話してくれた。
「古事記」では、非暴力を貫いた大国主大神のおかげでこの国がはじまったと言う。父からは、こういった民話を聞かされて育った。「決して怒ることなかれ」これが父の口癖であった。それはもしかしたら1,300年以上も前の大国主大神の言葉であったかもしれない。出雲大社に眠る大国主大神は、私たち日本人の父親だと教えられた。
祖父は雨の日、雪の日、漁に出かけられない日は自宅で網を編むのが常だった。その網は欲しいと言われれば惜しげなく誰にでも渡す。
「くんちゃん、爺さんが渡した網は、違う形でみんなに戻ってくる。何に代わるかなあ。いつになるかわからないけれど、楽しみだね」。すぐに結果が出るのではなく、人生の長い歴史の中で差し出した真心は、他者からの支えという形をとって戻ることを祖父は教えた。
今は父も祖父もいない。透明な命となり、命は永遠に続いていると教えてくれたことに感謝 合掌
看取り士 柴田久美子