一般社団法人日本看取り士会/一般社団法人日本看取り士会

泣けたのは、“お母さんもはじめて”だったから。(胎内連載#2)

2026年01月07日

第2回:泣けたのは、“お母さんもはじめて”だったから。

完璧じゃない親への視点が、やさしく反転した瞬間。


こんにちは。胎内体感の連載担当です。

前回は、「死ぬって、なんか“再起動”だった。」というテーマで、
胎内体感の最初の一歩についてお話ししました。

今回はいよいよ、第1回の最後に予告していたこのテーマです。

「泣けたのは、“お母さんもはじめて”だったから。」

宿泊型の胎内体感のなかでも、多くの方が「いちばん印象に残った」と話されるのが、
「ロールレタリング」という手紙のワークです。

今日はその時間のことを、少しだけ、あのときの空気を思い出しながら綴ってみます。


ロールレタリングって、どんな時間?

ロールレタリングは、簡単にいうと

「相手の立場に立って、その人として手紙を書く」

というワークです。

胎内体感のプログラムのなかではいきなり手紙を書くわけではなくて、

  • まず、年代ごとに過去をじっくり思い出す時間があって
  • そのあと、面接(短い対話)があって
  • そして最後に、「お母さんとして」「お父さんとして」手紙を書く

という流れになっています。

この「思い出す時間」がけっこう長くて、
パーテーションの中で、ひとり静かに座りながら
自分の小さいころのことを年代順にたどっていきます。

・小学校に上がる前のこと
・小学生のころ
・中高生のころ…

そんなふうに区切りながら、

「お母さんに、何をしてもらったっけ」
「自分は、お母さんに何を返してきたっけ」

を、淡々と振り返っていく時間です。


面接で、さらに深く“思い出されていく”

思い出したことは、その都度、面接のときに短く言葉にしていきます。

面接といっても、堅苦しいものではなくて、
講師さんと向き合って、3分ほどの短い時間。

でも不思議なのは、この「ちょっと話す」という行為が、
そのあとに続くロールレタリングを、ぐっと深くしてくれることです。

パーテーションに戻って、いざ手紙を書き始めると、

「さっきは言わなかったけど、あんなこともあったな」
「そういえば、あのときお母さん、ああいう顔してたよな…」

と、あとからあとから記憶がにじみ出てくる。

ただ“思い出す”だけのときには出てこなかった場面が、
「言葉にする」「文字にする」という動きを通して
自分の中で、ゆっくり整理されていく感覚がありました。


「お母さん」として書きはじめたときに起きたこと

ロールレタリング(手紙)は、自分からお母さんへも書くんですが、
「自分」ではなく「お母さんの立場」でも書きます。

たとえば、こんなふうに。

「○○へ
あなたがまだ小さかったころ、私はね――」

“私”は、書いている自分ではなくて、「お母さん」。

最初は、なんだか不思議な感じです。
でも、思い出した出来事を、お母さんの気持ちになって書いていくうちに、
だんだん、視点がスライドしていくのがわかりました。

たとえば、子どものころに「理不尽だ!」と思っていた出来事。

  • 怒られた
  • 叱られた
  • もっとこうしてほしかったのに、してくれなかった

あのときの自分にとっては“被害者”のように感じていた場面を、
「お母さん」として書こうとすると、自然と問いが変わります。

「あのときのお母さんは、どんな気持ちだったんだろう?」
「どうして、ああするしかなかったんだろう?」

気づけば手紙の中で、私はこんな言葉を書いていました。

「あのとき、どうしてあんな言い方しかできなかったんだろうね。
本当は心配でたまらなかったのに、うまく言えなかったんだよ。」

書きながら、自分でびっくりしました。

「ああ、母も一人の人間なんだ」という当たり前のことが、
頭ではなく、お腹のあたりに“ストン”と落ちてきた瞬間でした。

そのあたりから、涙腺はほぼ決壊状態です。


「お母さんも、はじめてお母さんだった」

この連載タイトルにもなっている

「お母さんも、はじめてお母さんだった」

という一文は、私自身が思いついた言葉ではなくて、
ある受講生がロールレタリングのなかで書いていた言葉です。

初めて聞いたとき、本当に衝撃でした。

当たり前のことなのに、ちゃんと受け取れていなかった事実。

  • 両親にも、子どもの時代があって
  • 恋をして、結婚して
  • 「親になる」という、未知の世界に飛び込んでいった

世のお父さん、お母さんはよくよくご存じだと思うんですけど、
そのとき、誰かがカンペをくれるわけでも、
「正解のマニュアル」を渡してくれるわけでもないんですよね。

子どもから見れば“完璧な大人”のように見えても、
心の中には、

「これでいいのかな」
「うまく育てられるかな」

という不安や、試行錯誤や、迷いがあったはずです。

そのことを想像した瞬間、
自分が子どものころに「理不尽!」と思っていた出来事たちが、
少し違う色で見えはじめました。

「なんであんなふうに怒ったんだろう」という場面でさえ、
どこか、愛おしく感じられてしまう。

あのときあの人も、
“はじめての親”として、一生懸命だったのかもしれないな、と。


「相手の立場に立つ」を、大人になってからやり直す

胎内体感に関わる中で聞いた言葉に、こんなものがあります。

「私たちは幼稚園で『相手の立場に立って考えましょう』って教わるのに、
大人になると、そのことをすっかり忘れてしまう。」

ロールレタリングは、まさにその「やり直し」のような時間でした。

  • 親が劇的に変わるわけではない
  • 過去の出来事も、事実としてはそのまま

だけど、自分の見方が変わる。

私の場合、体験のあと、

  • 親から小言を言われたときに、
    前なら「もう、うるさいなあ」としか思えなかったのが、
    「まあ…気持ちはわかる」と苦笑いできるようになったり
  • ちょっと意見がぶつかったあとにも、
    「何もわかってくれない!」と心のドアをバタンと閉めるのではなく、
    「ああ、悪かったな」と素直に思える瞬間が増えたり

そんな、小さな変化が起きていきました。

衝突自体がゼロになるわけではありません。
人間同士なので、意見が合わないことも、もちろんあります。

でも、そのあとの心の動きが、すこし柔らかくなる。

「親だからこうあるべき」
「子どもだからこうあるべき」

という枠の前に、

「一人の人間として、こう見えるな」

という視点が、そっと割り込んでくるような感覚です。


「赦さなきゃ」じゃなくて、「自然と愛おしくなる」

胎内体感のワークのなかで大切にしているのは、

「誰かを責めないこと」
「自分を責めないこと」

です。

ロールレタリングも、「親を赦しましょう」という
“目標”があるわけではありません。

むしろ、やっていることはとてもシンプルで、

  • 事実を思い出す
  • そのときの自分の気持ちを認める
  • 親の立場に立って、同じ場面をもう一度見てみる

ただそれだけ。

そのプロセスのなかで、

「赦そう」とがんばったわけではないのに、
ふと気づけば、心の中にあったトゲが
ほんの少し、丸くなっている。

そんな変化が起きる方が多いのが、
このロールレタリングの不思議なところだなと感じています。


親との関係は、今からでも“更新”できる

親との関係って、
もう大人になってしまうと「だいたい決着ついている」と
思い込みがちですよね。

  • まあ、こんなもんだろう
  • うちの親はこういう人だから
  • 今さら変わらないし

でも、ロールレタリングや胎内体感に触れていると、
その“諦め”が少しゆるんでいきます。

親自身が変わらなくても、
自分の見方が変わることで、

「過去の出来事」への意味づけは、
いつからでも“更新”できる。

そのことを、実感として感じるようになりました。

親との間に、まだ少しザラザラした感情を抱えている方にも、
もう親はこの世にいない、という方にも。

ロールレタリングで“お母さん”や“お父さん”として手紙を書く時間は、

「完璧じゃなかった親」と
「完璧じゃなかった自分」を、
そっと並べて見つめ直すための、静かな場所

になるのかもしれません。


私はこの研修のあと、ちょうど親と話す機会があって、
思い切って胎内体感のことと、そこで気づいた親への想いをそのまま話してみました。

「昔はこう思ってたんだけどさ、今はこう見えてるんだよね」

そんなふうに、ちょっと照れくさくなるような気持ちも含めて、真正面から言葉にしてみたんです。

いや、父が目に見えて涙をこぼすのを見たのは、いったいいつぶりだっただろう……と、
一瞬こちらの時間が止まったくらい、はっきりとした涙でした。

「そんなふうに思っていてくれたのか」
「うれしいなあ」

と、ぽつりぽつりと言葉をこぼす父の姿を見ながら、
何とも言えない感情が広がっていったのを忘れられません。

ああ、もちろん。その後もイラっとしたり言い争ったりはするんですけどね笑。


次回、第3回は、

「“感情を変える”じゃなく、“流す”んだね。」

怒りや悲しみそのものが「なくなる」のではなく、
やさしく通り過ぎていくようになった変化について、
胎内体感のスタンスとあわせてお話ししていきます。

どうぞお楽しみに。