2026年11月08日

母を看取ったのは、2026年7月26日、日曜日の正午過ぎでした。入院していた病院から点滴をつけたまま退院させ、自宅看護を始めて12日目でした。母は数日前から言葉が出ず、問いかけにうなずくだけでした。
日曜日の朝、母の呼吸は荒く、もう長くないのかもしれないと感じました。
その後、私は左手を、妹が右手を握った状態で、母との昔話を楽しんでいました。妹が、母の右目から一粒の涙が出ているのを見つけて、そっとティッシュでぬぐいました。
それからしばらくして、荒くゼーゼーといっていた呼吸がふと止まり、あれ?と思ったら唇から血の気が引いていきました。最期の瞬間には何か喋ったり、サインをくれたりするのかなと思っていたので、意外な最期でしたが、2人の娘から手を握られた状態で、母は静かに旅立って逝きました。
訪問看護師・訪問医に連絡後、看取り士さんが駆けつけてくださいました。
母の指先や足先はすぐに冷たくなりましたが、「背中や首の後ろあたりは最後まで温かいんですよ」と説明してくださったので、父、妹、甥が順番に母の首の後ろに手を入れました。
妹は座位で母を抱えるようにして、思いっきり泣きながら感謝の言葉や大好きだったことを伝えました。次に父も母を座位で抱き上げて、泣いたり笑ったりしながら母との思い出話をしていました。
最後に私も母を抱いて感謝の気持ちを伝え、大好きだったことを伝えました。母の顔は穏やかで、この2か月半の苦しみからやっと解放されて安心したようにも見えました。
葬儀は2日後と決まり、その前の2日間は母と家族だけで穏やかな時間を過ごすことができました。今振りかえっても、この2日間は本当に大切な時間でした。
お葬式でお経をあげていただいている間、母が笑顔で天へ上がっていく姿が目に浮かび、「ああ、お母さん、痛みから解放されて自由になったね。肉体から魂が抜けて、どこへでも自由に行けるんだね。よかったね」と心の中で声をかけました。
こんな風に母を見送ることができたことは、2日間の看取りの時間があったからだと感じています。
御家族 田中響子
文責 柴田久美子

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