看取り士日記(292)~旅立ちのあたたかさ~
麦の穂が空高く伸びゆく5月のある日。1本のお電話を頂く。
「96歳の父が4月に膵臓癌の末期で余命一ヶ月と診断され、今施設に居ます。弟と2人で看取ることがすごく不安なんです。」と娘さんが話される。
2日後、施設に訪問する。お父様は娘さんの手から一口のお菓子とエンシュアを一口召し上がられ「もういい。」と。その姿にお父様の娘さんへの深い信頼を感じる。お父様にお困りごとについてお聞きすると「何もない。」ときっぱりと言われ、お父様の凜とした人生の姿を見せていただく。
お部屋は、趣味で撮られた蓮や紫陽花の美しい写真が飾られ、写真を撮るために娘さんとともに各地で過ごされた思いで話はつきないようだった。
看取り士の存在を知るまでは、亡くなったら施設から葬儀屋さんへと思っていた。今は、父を自宅に帰してあげたい。獣医として仕事をしてきた父の仕事部屋に連れて帰ってあげたいと希望される。
お父様の体調の良い日、娘さんと一緒に回転寿司で一口ずつ召し上がられ、ヘアカットして、お墓参りもされたと聞く。
これからどうすればいいのか不安だった娘さんと、かかりつけ医さん、施設の方、葬儀社さんと打ち合わせをして、看取り士の役割やドライアイスを入れずにご自宅に帰ることなど確認する。
6月の訪問予定の前日の朝、お父様が旅立たれた。息子さんが施設に向かわれた後、看取り士も訪問させていただく。お父様の側で立ち尽くされている息子さんにお父様に触れていただき抱いていただく。「親父、見てるかな。」と恥ずかしそうにお父様を優しいまなざしで見つめ「父にはもう時間が無いと聞いていても、どこかで父は死なないと思っていた。」と話される。
ドライアイスを入れないままでご自宅に帰り、息子さんが看取りの作法をされる。到着された娘さんも愛おしそうにお父様の頬に触れ、看取りの作法をされる。美しいお父様のお顔に、お二人とも優しい笑顔で話される。息子さんは「死がこわいと思っていたけれど、こんなに穏やかな時間なんですね。」と話され、娘さんは「あったかい。ろう人形のように冷たくならなくて良かった。お父さんありがとう。私は幸せ。」と伝えられた。お父様は輝くように美しい姿で穏やかにやさしく時が流れた。
旅立ちのあたたかさを教えて下さったお父様に深く感謝 合掌
担当看取り士 西河美智子